御由緒

 猪子石(いのこいし)神明社は、承和年間(834~848)(平安時代初期)の創建にて、花園天皇時代(1308~1318)(鎌倉時代後期)には猪子石字水汲坂に鎮座されていた。御所より奥三河猿投山中に御巡幸の途中、香流川の清水を汲み御休憩された所と伝えられる。

香流川氾濫のため、後水尾天皇時代(1611~1629)の元和8年(1622)(江戸時代初期)に現在地の上八反田へ遷座された。

 猪に因み足腰の守護、「亥の子」信仰に因んだ五穀豊穣・子孫繁栄の守護、また末社の龍耳社に因み耳の守護を戴く神様として信仰されている。

 神明社から500m程西には「猪子石神社(名東区香坂515番地)と呼ばれる猪に似た「牡石」が祀られている。この牡石は「触ると祟る」と云われ、触れてはならないとされている。

また神明社から600m程南西には「大石神社(名東区山の手1丁目707番地)と呼ばれ、やはり猪に似た「牝石」が祀られている。この牝石は多数の小石が付着しているところから「子持ち石」とも呼ばれ、安産の御利益があると伝えられる。

 古来、猪は神と同一視され、古事記にある日本武尊の説話にも猪は神の化身とされる。また弓削道鏡の野望を挫いた和気清麻呂公を救ったのも猪であり、神聖な動物とされ、大陸や朝廷、民間でも「亥の子」行事が盛んに行われてきた。「いのこいし」は地元では「いのこし」と呼ばれる事が多い。

 神明社資料館には郷土文化財「馬の塔・御馬塔(オマント)」の馬標(ダシ)一式と「棒の手」の武具一式が展示されている。(公開日は社務所へお問い合わせ下さい)

  ※オマント・棒の手Iink